シェイパーを形づくるもの:シェイパーとして認められるまで

シェイパーを形づくるもの:シェイパーとして認められるまで

「どうやったらサーフボードシェイパーになれるのか」と、よく聞かれます。

私の場合、始まりはシェイピングルームではありませんでした。

キーウェストの自宅の裏庭から始まったんです。

高校を卒業した頃には、すでに自分で何本かボードを作っていました。フロリダ州インディアランティックにあるスペクトラム・サーフボードの人たちとは知り合いでしたが、ファクトリーの中に入ったことは一度もありませんでした。ある日ショップに立ち寄り、自分で作ったボードをグラスしてもらえるか聞いてみると、ファクトリーへ行くように言われました。本物のサーフボードファクトリーに足を踏み入れたのは、それが初めてでした。

当時、本格的なサーフボードブランドでは、一つのファクトリーで何人ものシェイパーが働くのが当たり前でした。4つのシェイピングルーム。グラスされるのを待つ、削りたてのブランクが並んだラック。そして、何台ものスキル100のプレーナーが同時に動く音。今では、ほとんど聞くことのない音です。

自分でフィンをグラスオンしてもいいかと尋ねると、スペクトラムのオーナー、クレイグ・ボビットはあっさり「土曜日に来たら?」と言うので、行きました

まだ取り外し式のフィンシステムが登場する前で、すべてがグラスオンフィンだった時代です。私はまだ全然上手くなく、その土曜日は失敗しては、そこから学ぶことの繰り返しでした。

その日の後半、クレイグが通りかかり、しばらく私の作業を見てから聞きました。

「仕事、必要か?」
「はい」と答えました。

ちょうどリペアをする人を探していたのです。こうして、私はファクトリーで働き始めることになりました。

同じ頃、スペクトラムのシェイパーの一人だったジョン・ルーカスが、私の初期のボードを一本見てくれていました。何か感じるものがあったのか、彼は私をそばに置いて教えてくれるようになりました。

私は彼のシェイピングルームの隅に静かに立って、仕事を見ていました。そして時々、ジョンが新しいことを教えてくれました。そこにいたシェイパー全員から何かを学びましたが、おそらく一番多くのことを教えてくれたのはジョンでした。

私がやっていたのは、リペアだけではありません。フィンパネルを切り、フィンをフォイルし、フィンボックスを取り付け、ファクトリーで必要とされることは何でもやりました。その一つひとつの仕事から、サーフボードがどう作られるべきなのかを学んでいきました。

そして20歳くらいの頃、ジョンとクレイグの間で意見の食い違いがあり、ジョンはスペクトラムを去りました。

シェイピングルームが一つ、空きました。

クレイグは私にストックボードのオーダー用紙を束で渡して、こう言ったんです。

「ほら。今日からお前がシェイパーだ」

まだ20歳でした。でも正直、自分ではそう思えませんでした。

ハワイに移ってからも、20代を過ごし、30代になってしばらく経つまで、「本物のシェイパー」というものについて、私はまったく違うイメージを持っていました。

私の中で本物のシェイパーとは、いつも40歳を過ぎた人でした。いくつかの危機を経験し、それを乗り越え、それでもボードを作り続けてきた人。自分には、まだまだ先があると思っていました。

誰かに、「君はすごいシェイパーだ」と言われても、私の答えはほとんどいつも同じでした。

「まだまだだよ」

幸運にも恵まれ、タイミングにも恵まれ、素晴らしい師たちにも出会いました。
それでも、自分がシェイパーだと思えるようになるまでには何十年もかかりました。シェイパーになることに、近道はないと思っていたからです。

1,000本作って、ようやくシェイパーと名乗る資格ができる。
10,000本作って、ようやく良いシェイパーになり始める。

でも、本当に大切なのは数字ではありません。大切なのは、その姿勢です。

一番下から始める。
すべての工程を学ぶ。
一緒に働く人たちからの信頼を得る。

そうして初めて、誰かがプレーナーを手渡し、自分たちのブランドの名前のもとでボードを削ることを任せてくれる。

今振り返ると、あの過程は、私が作っていたサーフボードと同じくらい、私自身を形作ってくれたのだと思います。



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